日本・オーストリア友好150周年記念
ハプスブルク展|600年にわたる帝国コレクションの歴史

作品紹介

8人の王族と関連作品

8人の王族と関連作品

展示作品

展示作品

  • 中世最後の騎士

    マクシミリアン1世
    神聖ローマ帝国皇帝
    Emperor Maximilian I (1459-1519)
    ベルンハルト・シュトリーゲルとその工房、あるいは工房作 《ローマ王としてのマクシミリアン1世》1507/1508年頃、油彩/板
    18歳でブルゴーニュ女公マリーと政略結婚し、ハプスブルク家に多大な富と領土をもたらした。その後も子や孫の政略結婚で領土を拡大し成功を収め、ハプスブルク家の発展に重要な役割を果たした。度重なる遠征を行い自ら戦線に立ったことから、「中世最後の騎士」と讃えられた。芸術家や建築家を庇護し、ハプスブルク家のコレクションの礎を築いた人物でもあった。本展では、肖像画や皇帝が実際に着用した甲冑が出品される。
    関連作品
    • 《角杯(グリフィンの鉤爪)》北ドイツ?、15世紀初頭、角、鍍金された銀の台
    • ロレンツ・ヘルムシュミット《神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の甲冑》アウクスブルク、1492年頃、鉄、鍍金された真鍮、皮革
  • ベラスケスを見出した男

    フェリペ4世
    スペイン国王
    King Philip IV of Spain (1605–1665)
    ディエゴ・ベラスケス《スペイン国王フェリペ4世の肖像》1631/32年、油彩/カンヴァス
    若くして即位し、政治面では目立った業績は残さなかったが、文化や芸術には情熱を注ぎ、若きベラスケスを宮廷画家として採用し厚遇したことで知られる。ティツィアーノやルーベンスを好み、フェリペ2世とともに、プラド美術館のコレクションの礎をなしたコレクター、パトロンとしても知られる。本展では、ベラスケスが描いたフェリペ4世と政略結婚した最初の王妃イサベル・デ・ボルボンの肖像画が出品される。
    関連作品
    • ディエゴ・ベラスケス《スペイン王妃イサベルの肖像》
      1631/32年、油彩/カンヴァス
  • 生まれながらの許嫁

    マルガリータ・テレサ
    スペイン王女
    Infanta Margarita Teresa (1651-1673)
    ディエゴ・ベラスケス《青いドレスの王女マルガリータ・テレサ》1659年、油彩/カンヴァス
    フェリペ4世と、その2番目の妻で神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の娘マリアナの間の第1子。16世紀半ば、ハプスブルク家はオーストリア系とスペイン系に系統分裂し、両家間では互いの近況等を知らせる手段として肖像画が利用された。ベラスケスが晩年に描いた傑作《青いドレスの王女マルガリータ・テレサ》は、のちに神聖ローマ皇帝となるレオポルト1世に、まだ幼い許嫁の姿を伝えるべく制作されたものの一つ。マルガリータ・テレサはウィーンへの嫁入り後6人の子をもうけたのち、わずか21歳の若さでこの世を去った。
    関連作品
    • フアン・マルティネス・デル・マーソ《緑のドレスの王女マルガリータ・テレサ》1659年頃、油彩/カンヴァス、ブダペスト国立西洋美術館蔵
  • ウィーンを愛した
    “最後の皇帝”

    フランツ・ヨーゼフ1世
    オーストリア帝国(1867年以降はオーストリア=ハンガリー二重帝国)皇帝
    Emperor Francis Joseph I (1830-1916)
    ヴィクトール・シュタウファー《オーストリア・ハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の肖像》1916年頃、油彩/カンヴァス
    18歳で即位して以来、68年もの長きにわたって在位したハプスブルク家『最後の皇帝』。幾多の戦いに敗れ、内政問題を抱えながらも、その不屈の精神から晩年には「国父」として広く慕われた。城壁を撤去し代わりに環状道路「リンク」を建設するという画期的な都市計画を実施したほか、芸術文化を愛した。ウィーン美術史美術館は、フランツ・ヨーゼフ1世の命によって1872年に建造が開始され、1891年に完成した。
    関連作品
    • クロード・ビズアール《オーストリア・ハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世のフリントロック式ピストル》マルセイユ、1857年、鉄、彫金、鍍金、金象嵌、木材、金、銀、イエローダイヤモンド、金糸と赤い絹糸の紐
  • 史上最高の変人

    ルドルフ2世
    神聖ローマ帝国皇帝
    Emperor Rudolf II (1552-1612)
    ヨーゼフ・ハインツ(父)《神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の肖像》1592年頃、油彩/銅板
    ヨーロッパ史上における稀代のコレクターとして名高い。デューラーやブリューゲルを好み、アルチンボルトを寵愛し、これらの作品は現在のウィーン美術史美術館のコレクションをなしている。政治に無関心で、魔術や錬金術、天文学に熱中。首都をウィーンからプラハに移し、自然物、珍しい異国の品々、工芸や芸術作品を収集し「クンストカマー」と呼ばれる場所に保管した。失政を重ね、最期は城に監禁されたまま亡くなった。本展では、デューラーの《ヨハネス・クレーベルガーの肖像》や、スプランゲルやハインツらによるエレガントで官能的な神話画など、皇帝のお気に入りの画家たちの作品や、精巧な細工が施された工芸品、アジア由来の珍しい品々を紹介する。
    関連作品
    • HDのモノグラミスト《十字架型の日時計》プラハ、1619年、鍍金された銅合金
    • アルブレヒト・デューラー《ヨハネス・クレーベルガーの肖像》1526年、油彩/板
  • 十六人の母にして
    唯一無二の
    “女帝”

    マリア・テレジア
    神聖ローマ帝国皇妃
    Empress Maria Theresa (1717-1780)
    マルティン・ファン・メイテンス(子)《皇妃マリア・テレジアの肖像》1745-50年頃、油彩/カンヴァス
    神聖ローマ皇帝カール6世の娘で、18歳でロートリンゲン公のフランツ・シュテファンと結婚。当時としては珍しい恋愛結婚だった。父カール6世の死後、領地を相続。その後度重なるハプスブルク家の難局を乗り切り、優れた政治的手腕で広大な領土を統治したことから「国母」と慕われた。夫との愛を貫き、夫の死後は喪服以外を身に着けることはなかったとも言われる。16人もの子に恵まれ愛情を注いだ一方で、マリー・アントワネットら自分の娘たちを政略結婚させてでも国を守った、「女帝」としての非情さも持ち合せた。
    関連作品
    • 《神聖ローマ皇帝フランツ1世とマリア・テレジアの肖像が描かれた小箱》ウィーン?、18世紀半ば、宝貝、金
  • 王妃は愛され、やがて憎まれた

    マリー・アントワネット
    フランス王妃
    Queen Marie Antoinette (1755-1793)
    マリー・ルイーズ・エリザベト・ヴィジェ=ルブラン《フランス王妃マリー・アントワネットの肖像》1778年、油彩/カンヴァス
    神聖ローマ皇帝フランツ1世とオーストリア皇妃マリア・テレジアの11女として生まれる。フランスとの同盟関係を深めるため、母マリア・テレジアがフランス王ルイ15世の孫ルイ・オーギュスト(後のルイ16世)との政略結婚を推し進めた。ドイツ名はマリア・アントーニアだが、14歳の時にヴェルサイユ宮殿で結婚式を挙げて以来、フランス名のマリー・アントワネットと呼ばれることとなった。当初は熱烈な歓迎を受けたが、次第に宮廷内での軋轢が生まれる。1789年のフランス革命勃発後、パリから脱出を図るが拘束され、革命裁判で死刑判決をうけ、ギロチンの露と消えたことはあまりに有名。
    関連作品
    • 《ルイ16世のシルエット》フランス、18世紀末、縞瑪瑙、ガラス、金、国立西洋美術館、橋本コレクション
    • 《ルイ16世とマリー・アントワネットの子供たち、ルイ・シャルルとマリー・テレーズ》フランス、19世紀初頭、ミニアチュール、ダイヤモンド、ルビー、真珠、エナメル、金、国立西洋美術館、橋本コレクション
    • 《ルイ18世と姪のアングレーム公爵夫人》フランス、1820年頃、ミニアチュール、金、国立西洋美術館、橋本コレクション
  • さまよえる美女

    エリザベト
    オーストリア帝国(1867年以降はオーストリア=ハンガリー二重帝国)皇妃
    Empress Elisabeth(1837-1898)
    ヨーゼフ・ホラチェク《薄い青のドレスの皇后エリザベト》1858年、油彩/カンヴァス
    バイエルン王国公爵の次女として生まれ、自由な環境で育つ。オーストリア・ハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に見初められ、16歳で結婚しオーストリア皇后となった。姑のゾフィーと折り合いが悪く、ウィーンを離れ各地を転々とした。さらには息子ルドルフ皇太子や弟マクシミリアンの死去など近親者に不幸が続くなか、自身も旅行中のスイス・ジュネーブの湖畔で、イタリア人の無政府主義者に殺害され波乱万丈の人生に幕を下ろした。愛称「シシィ」。